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10日くらい前に記事を書いていましたが、ずっと下書きのままでした。
マヤ暦と私の出会い~マヤ暦がどんなことを教えてくれたか書いてあります。
お時間のある時に読んで頂けると嬉しいです。
マヤ暦と私① マヤ暦との出会い
https://relaxante-alquimista.com/info/5442301
マヤ暦と私⓶ 改めてマヤ暦セッションを受けてわかったこと
https://relaxante-alquimista.com/info/5442338
マヤ暦と私③ こんなこともマヤ暦で紐解けました
https://relaxante-alquimista.com/info/5442345
マヤ暦と私④ マヤ暦からのメッセージを受け取る
改めて、マヤ暦セッションをうけてわかったこと。それは私が変化変容、落差が激しく魂が磨かれる「青の時代の9年目」を生きていることがわかり、4年後にそこから抜け出せると希望の光がみえてきました。
そこで、
これから先自分がどんな人生を生きていけばいいのかわかっているといいかも、
今、学んでおけば年をとってからもできていいかも
とこの2つの思いでマヤ暦を学ぶことにしました。
私がマヤ暦を学び始めたのが、2013年の1月47歳を迎える年でした。この2013年のにも意味がありました。マヤ暦は、13×20=260日サイクルです。マヤ暦にとって13と20はとても意味のある数字なんです。今。思うとこの2013年にマヤ暦を学ぶと決めてきていたのかもしれません。当時の休みは、月6日。この休みを利用し、マヤ暦を学び、2013年7月にマヤ暦アドバイザーになりました。
マヤ暦と出会い学んで良かったことの1つに、父のことが理解できるようになったことです。中学~高校卒業し親元を離れるまで、毎日といっていいほど喧嘩をしていました。口うるさく厳しい父が大嫌いで「このクソ、おやじ」と思っていたくらい。大人になってからも父の態度、言葉に「カチン!」とくることが多かったです。
マヤ暦では、父はK50 白い犬 黄色い太陽 音11 おまけに黒キン(エネルギーがたくさん降り注ぐ時に生まれているのでとてもパワフル)。なんと、あの前総理大臣小泉純一郎さんと生年月日が一緒なんです。小泉さんが血統書付きのワンちゃんなら、父はノラワンちゃん。
厳しく口うるさいのは、白い犬の「家族愛」から、そして自分が主人公意識が強く、家族の大黒柱的存在で、家族をとても大切に思っていてくれているのだと思えるようになりました。たまにワンワン吠えるので、心の中で「あんまり吠えるとご飯食べさせないからねと」思ってました。そんな父親も、晩年は、180度変わり穏やかになり、年々イラっとすることもなくなりました。
そして2015年、青天の霹靂が起こります。
つづく・・・
2015年、1月初旬。なんと電話で解雇通知を受けます。最初はなんで?今まで頑張ってきたのになぜ?の気持ちでかなり大きなショックを受けました。猶予が3カ月弱あったので、これから先を考え、思い切って起業することにしました。
すでにマヤ暦を学んでいたので、2015年4月4日のKiにマヤ暦とリラクゼーションサロンをオープンすることに決めました。
3月31日で退職、3日でサロンを作り、4月4日にオープン。
今考えるとなんて無謀なことをしたのだろうと思いますが、これは1番最初に勢いのある赤い龍のエネルギーが流れていたからかもしれません。
そして、2年後の2017年。驚愕の事実が判明しました。私が起業したのは、足並みが揃い次のステージにいく年だったのです。いつか独立したいと思いつつも、行動に移せなかった私に、神さまが強制的にストップをかけて、次へいくように後押しをしてくれたのかもしれません。
マヤ暦でいうとギフトが届くといわれる13年目。どんなギフトが届くかと思い楽しみにしていたら思いもよらないギフト。悔しい悲しい思いをしたのに、裏にはこんなミラクルが隠されていたのかと思うと感慨深いものがあり、涙があふれてきました。
ここで思い出したのが越川先生が常に話していてくれたこと。その時は到底ギフトと思えないものもあり、振り返ってみるとあの経験こそがギフトだったと思えることがあるということ。
本当にマヤ暦は色々なことを教えてくれます。
つづく・・・
そして、2020年まだまだ長生きすると思っていた父が突然他界しました。
何度も「今度はいつ帰ってくるの?」のSOSが出ていたのに、仕事が忙しく一息つけるの3日後。実家に帰る予定にしていたのでかなりのショックでした。
この時に真っ先に浮かんできた言葉は、父が生前言ったていた「親を1人失ってもまだ1人いると思えるからいいけれど、2人ともいなくなると悲しみが大きくなる」という言葉でした。これを痛感しました。
この時もマヤ暦がメッセージをくれました。父が旅立った日を改めて振り返ってみると、その日は浄化、新しい流れの赤い月、そして同じく浄化・改革の意味のある音11(父の銀河の音の日)。そして最後に父を看取ったのは父と類似キン(似たもの同志)の青い嵐の弟。弟は、あの世とこの世の橋渡し役でもある白い世界の橋渡し。父はこの日を選んで旅立っていたのだと思えました。周りの人の支えと、マヤ暦のおかげで思ったよりショックから立ち直ることができました。
マヤ暦知り、マヤ暦のリズムを意識して生きて11年。私の中で印象に濃く残っているもの(小さなことはまだまだ山ほどあります)を書いてみました。こんな感じで日々マヤ暦のエネルギー意識して生きていると、マヤ暦が本当に色々教えてくれます。メッセージを受け取るたびに、マヤ暦を知っていた本当に良かったと心の底から思います。
私がマヤ暦をもっともっとたくさんの人が知っていると思うものは、こんな経移があるから・・・
マヤ暦を知っているのと知らないのとでは、本当に人生に大きな差があると思うんです。
でも、マヤ暦を知っているから毎日が幸せハッピーとは言い切れません。人生にはやはりそれぞれのバイオリズムがあります
しかし、その日がどんなエネルギーが流れ、どんな日なのかがわかっていると、色々な見方・考え方・捉え方ができるので、発想の転換ができココロが幾分が軽くなります。
だからこそ、悩みや苦痛から解放され、みんなが自分が本当に望んでいる世界を生きていけるようにマヤ暦を伝えていきたいのです。
4回に渡り、読んで頂いてありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
マヤ暦セッション
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マヤ暦講座
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ご予約は
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今までしっかりマヤ暦との出会いからどんな思いがありマヤ暦を伝え続けているのかを書いたことがありません。どんな人(なんとなくわかっていらっしゃるかもしれませんが)がマヤ暦を伝えているのか、知ってもらういい機会だと思い4回に分けて書いていきます。
読んで頂けるとうれしいです。
私がマヤ暦と出会ったのは、2009年頃。きっかけが義妹(ちなみに私たち、兄弟3人が義妹のガイドキン。だから嫁いできてくれたのかも・・・マヤ暦教えてくれてありがとう)が当時学んでいたマヤ暦を「お姉ちゃん、マヤ暦って面白いものがあるよ」と、学びてたてのマヤ暦を教えてくれました。
そして興味を持ち、
越川先生の『古代マヤ暦 「20の刻印」の本を買い、
当時働いていたアロマサロンの休憩時間に読んでいました。
ある日、久しぶりに再会し間もない同級生がサロンに訪ねてきました。
「旦那と離婚したいんだけど・・・」
結婚していない私に夫婦間のことがわかるのなと思いつつも、同級生の話に耳を傾け、これなにか参考になるかもと、「20の刻印」の本を貸したのです。
すると翌日、「誰かセッションしてくれる人がいたら紹介して」と言われ、義妹にその時鹿児島にお住まいだった末岡先生を教えてもらい紹介してもらいました。
セッションを受けた翌日、同級生に「あなたもみてもらったらいいよ」と言われ、休みの日にセッションを受けにいきました。
*その後、同級生は夫婦で支えあいながら乗り越えていく出来事がやってきました
セッションを受けて、「あ~あ、なんとなくわかる、あっているかもと」と思い、その時は人には「マヤ暦って面白いよ~」と伝え、自分で学ぼうとは思っていませんでした。
それから1年くらい経った頃、母が亡くなったこと、仕事も次々人が辞めていき、残っている人とは反りが合わず悩んでいました。
そして、その時にマヤ暦を思い出し、2度目のマヤ暦セッションへ。
つづく・・・